世界最大手の食品会社「ネスレ」がパワーバーを売却し、今秋からアメリカの食品会社が親会社になる。
1996年、旅行会社に勤務している時、ハワイでスポーツイベントを企画し、その際にたまたま協賛してくれたのがパワーバー。インパクトのあるパワーバーロゴに惹かれ、その商品の特性にほれ込み、「パワーバーを日本で売りたい!」と直感的に思ってしまった。思い込んだら猪突猛進、サンフランシスコにあるパワーバー本社へ行って「日本総代理店をやらせてください!」と直談判。最初は門前払いだったけど、何度も訪れ、ようやく当時の社長(マックスウェルさん)にお会いすることが出来パワーバーへの思いを伝えた。その後も交渉を重ね日本代理店としての光が見え始めた時、きっとうまく行くと信じ、スパッと会社を辞めてパワーバーを日本に広めるために設立したのが「有限会社パワースポーツ」だ。
当初は内容成分が日本規格に合わず輸入することが出来なかったため、個人輸入という形でユーザーへ直接パワーバーを届ける窓口をやっていた。と同時に、大学時代(日本大学農獣医学部農芸化学科)のコネクションを生かし、国内でパワーバーを製造しようと今までの蓄えや退職金を元手に、試作品開発に着手した。数か月かけてエナジーバー・パワージェルの試作品が完成。いざ本生産という時に驚きのニュースが飛び込んできた。なんとパワーバー社が世界最大手の食品会社「ネスレ」に売却されてしまったのである。スタッフを増員し、都内にオフィスを構え、いよいよという時だったが、借金まみれのお先真っ暗になってしまった。
意気消沈していたら親会社となった日本支社「ネスレ日本」より声がかかる。売却されるときに元パワーバーの社長が日本国内販売はパワースポーツでとアドバイスをしてくれたようだ。幸運に恵まれネスレ日本とタッグを組み、2002年、日本製パワーバーがついに完成し販売を開始したのだ。パワースポーツとしては年々販売店数が急上昇し、売り上げは急上昇で順風満帆と思っていたけど、会社が大きいと販売目標はメガ級で、ネスレとしては物足りなさを感じ始めたのか、総販売元というパワースポーツの立場が解除され、いち卸店としての扱いになってしまい、一般スポーツ市場は大手スポーツ卸店「ミズノ」が請け負うことになった。ということで、半分近く売上げを持っていかれてしまったが、パワースポーツの底力を発揮し、サイクルショップ、アウトドアスポーツショップ、フィットネスクラブ等に販路を広げ、売り上げを取り戻す。
2002年にパワーバーの国内販売が始まって7年が経った2009年。またもや衝撃なことが。ネスレ日本がパワーバー事業から撤退するという事態を告げられたのだ。7年もの歳月、パワーバー事業に投資してきたがそれに見合う収益が得られなかった、そしてスポーツ業界に限っての販売展開だと今後大きな事業に発展する可能性が低いというのが撤退の理由。(だと思う。)パワースポーツの力不足、残念だけど現実を受け止めるしかなかった。パワーバー撤退に伴い倉庫に残った在庫をなくすために働く、魂を取られた抜け殻のような日々が続いたが、しばらく経ってパワーバー事業はネスレオーストラリアが引き継ぐことが伝えられ、幸運なことに輸入元としてパワースポーツが指名された。
パワーバーを人一倍愛してここまでやってきた。その思いが伝わったのだ。良かった、良かった。その後、少ないスタッフで、一人三役をこなし、ネスレオーストラリアとのコミニュケーションを密にしながら、新たなPR方法や新製品の投入でさらに販路を広げ、順調に今に至った。
そして今秋、新たな転機が訪れることになる。新しい親会社「POST社」のもと、新生パワースポーツが始動するのだ。固い絆を結び、さらに多くの人にパワーバーを知ってもらえるように頑張りたいと思う。これからもパワーバーをよろしくお願いいたします!
知らない人がほとんどかもしれませんが、数日前からパワーバーのフェイスブックが始まりました。レアものの海外情報が満載ですので、ぜひご覧ください!