いろいろな人生がある。自分は日大藤沢高校を卒業して、日本大学農獣医学部に入学し、4年生で食品化学研究室に入り、
卒業して、東洋醸造株式会社(現旭化成)に入社した。入社して5年が経った1991年、世間はバブルの絶頂期で、一歩上を目指した転職ブームが沸き起こる。
大手企業が優秀な人材を確保しようと新聞の求人欄は大賑わい。英語もしゃべれない自分だが、はったりで挑んだ面接で一流企業「JTB(日本交通公社)」に合格。
JTBではスポーツやメディア関連の営業に徹し、アトランタにシドニーオリンピックと競技団体のアテンド、ハワイを舞台としたスポーツイベント企画、
テレビ局担当で国内外いろいろな場所へ行くことができた。そこまでは中身、収入とも申し分ない充実した人生を送っていたかもしれない。
JTBに入社して10年近くが過ぎ、何を思ったのか不満のない、いや、不満のなさすぎる生ぬるい人生に区切りをつけ退社。その時は勢いで区切りをつけたのだが、今思うと、
大手企業の名前で仕事している自分がちっぽけに思えてしまったのが理由だと振り返る。会社の顔ではなく自分自身の顔で仕事がしたい。
もちろん大手企業でも個人の力で仕事をしている人はたくさんいると思うけど、自分はそうではなかった。
大手企業のネームバリューで仕事をしている自分、作り笑顔で仕事している自分から抜け出したかった。
そして、パワースポーツが誕生。会社は川崎、千駄ヶ谷、中目黒、桜新町、鎌倉と転々とし、現在の藤沢に落ち着いた。
スタッフは増減を繰り返し、今月新たに1名入社して9名(内バイト1名)になった。スタッフたちは、自分のようにいろいろな人生を繰り返し、
清水の舞台から飛び降りるかのようにパワースポーツに入社してくれたと思う。パワーバー販売、イベント企画、出版、クラブハウス運営など、
事業は多岐にわたるが、まだまだ発展途上で多くの収入は望めない。(というか望めるようにしないと。)スタッフたち(私も)が自分たちの会社(パワースポーツ)に
望むことは「やりがい」。会社にかかわる人(消費者、参加者、関係者など)の笑顔が自分たちの力になる。真の笑顔をみんなからもらうためには、まだまだ努力が必要だ。
いよいよ来年3月で設立10年を迎える。さらなる進化をパワースポーツ!