3月21日夕方、支援物資をワンボックスカーに積んで、被害が大きかった福島県へ向った。今回用意した支援物資は[PowerBar
8,000本」、[Tシャツ1,500枚]、[飲料360リットル]と金額にして約400万円程度。大きな企業の支援規模には到底及ばないが、自分たちが今やれる最大限の支援。
被災地は膨大な広さ。どの場所へ物資を届けたらよいか考えた時、パワースポーツとの関係が深い福島県が真っ先に浮かんだ。福島県では昨年初めてトレイルレースを開催させてもらった。それも福島県の後援を受けて。地域振興に繋がるイベントだったけど、神奈川県のある小さな企業を信用して、後援してくれた福島県に恩返しをしたい気持ちが大きく、今回この地への支援物資の提供を決めた。
震災があった日はパワースポーツが運営する大会開催の前日。今回、自分は大会開催地に行かなかったが、東北地方の被害の大きさを考え自分の一存で中止を決めた。参加者のみなさんへは、参加費の取扱に関しての報告が遅れてしまったのは全て自分の責任。大会前日ともなると開催準備は全て終わり、開催経費の減額は期待薄。経費を差し引いて返金を考えたが、微々たるものだった。けれど経費は残ることは残る。残った金額で支援物資の購入費用の一部に充てさせてもらった。
震災後、大会でお世話になった福島県庁スポーツ課のTさんに連絡をとった。けれど返事がなく安否が心配になる。震災4日後にようやく連絡がついた。南相馬市へ被害状況の確認で派遣されていたという。支援物資提供の申し出を受容れて頂き、災害対策本部物資班経由で物資運搬の手続き速やかに取ってくれた。鎌倉警察署へ行き、物資運搬の緊急車両申請を出しに行ったら、鎌倉では一企業の申請は初めてのことと驚いていた。緊急車両は高速料金が全て無料、一般車両は東北道矢板ICまでで、そこからは緊急車両の通行しか認めていなかった。その理由は、スムーズに緊急車両が通行できることと、震災で所々アスファルトに亀裂が走り、直したての道路は凸凹で、慎重な運転が必要だったからだ。
鎌倉を出発して6時間。夜中の12時頃、指定された福島市内にある日本通運に到着。支援物資を下ろす。倉庫には精米、カップ麺、トイレットペーパー、毛布、飲料、ジャージ、シューズなど満載だった。しかし支援物資は届くが、その先の避難所へ運ぶ車両やスタッフが不足している模様。特に遠隔地へ届ける小回りの利く貨物自動車が少ない。支援物資のPowerbarは、今後救急隊の行動食として用いられるため、急を要さない。持ってきた支援物資を下ろし貨物内は空になったため、各避難所へ必要な支援物資の運搬を申し出た。すると災害対策本部より依頼が来た。貨物内が満載になる程の支援物資運搬の依頼だった。届け先は西白河郡西郷村、西白河郡矢吹町、須賀川市、田村郡小野町、岩瀬村鏡石町、郡山市の6自治体で10箇所の避難所。指令書には各避難所名、物資名と個数のみ記載されており、各所の住所を調べる。そして、いち早く届けるためのルートを練った。
記載されていた支援物資は精米240kg、カップ麺1,116個、アルファ米500食、緑茶(ペットボトル)144本、ふりかけ100袋。速やかに搭載し、午前3時、一番の遠方地である西郷村を目指した。みぞれ交じりの寒い日になった。勇気付ける言葉が伝わったかわからないが、自分なりに表現しながら一つ一つの避難所を回った。届けながら思ったことは、神奈川で伝わってきていた情報とのギャップと本当に必要な物資が届いていないことだった。福島市内の倉庫に届いていた支援物資が遠隔地に運ばれていないのは、小回りの利く貨物自動車が不足していることが原因で、今回の自分たちの貨物自動車が大いに役に立った。自分たちのような貨物自動車運搬スタッフを配備され、機転を利かし、各避難所を担当することで大きく改善できると思った。
欲している支援物資として須賀川市では、野菜、甘い飲料(コーラやスポーツドリンクなど)に、発泡皿、紙コップ、割り箸が挙げられている。原発が近い場所では水道水が心配で、食器を洗うことが出来ないため、使い捨て食器が必要になるとのこと。被災して2週間が過ぎてもお風呂に入れず、洗濯もままならない。そのため避難所内でインフルエンザが猛威を振るっていた。今回、原発から約40kmに地点に位置している田村郡小野町に行った。自衛隊は頭の先からつま先まで覆う完全防備だが、避難民はマスク程度。この避難所へはマスクをすることが憚れ、雨降る中だったが何となくマスクを取って物資を運ばせてもらった。
国内の企業、団体、個人から、そして世界から義援金が集められている。今必要なのは避難所生活を強いられている避難民たちへの義援金だと思う。避難してきた方々のほとんどはお金を持たずに避難所生活をしている。避難所は比較的安全な場所にあるので、回りにはコンビニやスーパーなど買い物が出来る場所がある。けれど避難民はお金を持ち合わせていないので自動販売機で飲料を買うことも出来ない。各避難所へ行き集められた義援金の一部を飲食物の購入費として、直接避難民に手渡しすることがすぐに必要なことだと感じた。
被災地を訪れ、現況を知ることが出来た。いま自分がやれること、やらねければならないことが見えてきた。うまくまとめられないコラムになってしまったが、現況が少しでも伝われば幸いだ。 |