9月16日に誕生日を迎え、48歳になった。
年頭のコラムで「矢は40歳代で勢いよく飛び出し、飛行姿勢を整えながら出来るだけ遠くへと、飛ぼうとする。」と記した。その矢は48歳になっても遠くに飛ぼうとしている気持ちがあるが、どこかその矢の着地点を探しているような気がしていた。そんな気持ちを振り払ってくれる言葉が2つ。
友人から教えてもらった言葉。
「人生の達人は、仕事と遊びの区別も、労働時間と余暇、心と体、教育と娯楽 の区別もつけない。両者の違いがわからないのだ。何をするのであろうと ひたすら至高の状態を求め、仕事か遊びかの判断は他人に委ねている。本人にしてみれば、常に両方を行っているようなものだ。 ---フランソワ・オーギュスト・ルネ・シャトーブリアン」
最近読んだ本で笹本稜平の「還るべき場所」(文春文庫)の文中の言葉。
「人間は夢を食って生きる動物だ。夢を見る力を失った人生は地獄だ。夢はこの世界の不条理を忘れさせてくれる。夢はこの世界で生きるに値するものだと信じさせてくれる。そうやって自分を騙しおおせて死んでいけたら、それで本望だとわたしは思っている。」
両方の言葉、心に染み渡る。そういった人生を送れれば、幸せこの上ない。
「50歳、60歳と歳を重ねても、各人の生き様に意味があれば、矢はいつまでも飛んで行くような気がする。」そんな想いがあり年頭のコラムに書き記したが、今の自分、いい歳のとり方をしているのか疑問を感じることもある。
50歳という人生の節目まであと2年しかない。いつまでも飛んで行く矢を目指し、心身を研ぎ澄ましたいと思う。