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コラムNO.99 「MIYAFUJI」

 50歳を前にしてこんなことが出来るのか。宮古島トライアスロンに参戦して、その5日後にウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)の完走を目指すという通称「MIYAFUJI」へのチャレンジ。
 思い立ったのは昨秋宮古島トライアスロンとUTMFのエントリーを済ませたとき。両大会ともそのカテゴリーでは日本最大のレース。開催日が近いからって参加しないわけには行きません。トライアスロンとトレイルランをこよなく愛する自分の魂に火がつきました。
 トライアスロンとトレランの練習では走ることは一緒で、自転車も意外とトレランの練習になり、特にヒルクライムは効果大です。スイムも心拍を鍛える意味ではトレランに役立ちます。なのでトライアスロンの練習が自然とトレランにも繋がると信じ、スイム・バイク・ランと満遍なくトレーニングをしてきました。心肺機能のさらなるアップを図るためにスイムでは4泳法のトレーニングを行いました。MIYAFUJIまでの平均した一週間のトレーニングは下記のような感じです。(出張やセミナーが入るときが大幅にプログラムは変わりますが、日頃心がけているトレーニングです。)

月曜日  20:00〜21:00 スイム(水泳教室)
火曜日 7:00〜 7:45 バイク(ローラー台)
水曜日 21:00〜22:00 スイム(水泳教室)
木曜日 19:30〜21:00 ラン(可能な時はトラックトレーニング)
金曜日 20:00〜21:30 ラン(ジョギング)
土曜日 8:00〜 9:00 ラン(激坂トレーニング)
  20:00〜21:00 バイク(ローラー台)
日曜日 9:00〜14:00 トレランもしくはバイクライド

毎月の練習量は[スイム20km、バイク600km、ラン180km]を目標としてました。

宮古島トライアスロン(スイム3km、バイク155km、ラン42km)

 木曜日から現地入りしてブース出店やセミナーの用意、金曜土曜はブース出店にセミナー開催で終日動き回り、翌日のレースを迎えるのが毎年のパターン。レースの日、朝起きたら風がビュービュー吹いていて、海はうねり、スイムが大変だなぁ〜と思っていたら、スタート直前でスイム中止となりスイムがラン6.5kmとなるデュアスロンになりました。あれほど4泳法のトレーニングを積んできたのに、残念な気持ちで大きかったですが、ルールはルール、気持ちを切り替え、気合を入れなおし宮古島デュアスロンに挑みました。大会主催者は29回もやってきてスイムが中止になったのが今年初めてということで混乱しており、スタート位置のアナウンスがあちらこちらで異なり選手はどこに行ったらよいやら。「4列で整列してください!」との指示で、前の方に陣取っていたら、横入りが横行し終いには20列くらいになっていて、結局スタート位置は中盤になってしまいました。

 まずは第一ラン。渋滞を掻い潜りながら進み、暫く経ってから心地よいペースで走れることができ、1km4分をキープして第一ランは約28分でフィニッシュ。トランジッションでお腹が痛くなりトイレに駆け込み、約6〜7分ほど時間を費やしてしまいましたが、元気良く155kmのバイクパートへ。

 翌週のUTMFのことを考え、自重するつもりだったのですが、足も気分も絶好調でペダルが回る回る!自分の周辺のグループはドラフィングが横行し、毎年悲しいライディングをしている人が多く見られます。集団の先頭を走るのですが、じわじわと集団が迫ってきてドラフティングしながら追い抜いてきます。そうしたらまた先頭に出る。バイク中盤は毎年そんなことの繰り返し。次第に実力がない選手が落ちていって、100km以降一人旅になりました。そこからはスピードダウンして、第二ランの準備に入ります。終始風が強く、斜めにバイクを傾けながら進まなければならないところや、横風がいきなり吹き、数メートル平行移動されたことも。足を残して走っていたけれど、バイクポジションがしっくり行きタイムは昨年より10分位しか変わらず4時間45分位で終えることができました。

 いよいよ最終種目第二ラン42kmの始まりです。ここでいかに筋肉を使わずに疲労を最小限に押さえUTMFに繋げられるかがポイント。けどこのレースで結果も残したい。そんなジレンマがありましたが、私の師匠「世界の宮塚」の教えを守り、筋肉を使わず骨で進む[骨走り]に徹し、折り返し21km地点は1時間45分で通過しました。これは速過ぎとスピードダウンし、1km6分を守り後半のハーフを2時間4分、トータル3時間49分で第二ランをフィニッシュ。総合タイムは9時間9分と好結果を残すことができました。レース中、翌週のUTMFのことが気になり、どのくらい抑えようかと考えながら走っていたのですが、終始、骨走りを意識したことが功を奏したのでしょうか。

 レース終了後、すぐにアイシング&マッサージ、そして湘南ベルマーレの中島コーチにストレッチを施してもらい、しっかりと身体のケア。翌日月曜日はブース出店と表彰パーティー。火曜日は宮古島東急リゾートでパワーバーサポートアスリートの酒井絵美ちゃんと友人Sam君の披露宴に出席後、アロママッサージを受け、帰宅の地に着きました。

 宮古島トライアスロンはロケーション、ボランティア、ホスピタリティーなど、どれをとっても国内NO.1!まさにトライアスロンの祭典です。また来年も必ずチャレンジいたします。

UTMF(トレイルランニング161km)

 火曜日に帰宅。UTMFスタートは3日後に迫ってます。身体のケアのため休暇を取っていたので、水曜日は戸塚にある行きつけの治療院「セレッソ戸塚」にて、ゴットハンド中村先生の入念なマッサージ&鍼灸を施して頂きました。レースから3日しか経っていないので、さすがに筋肉疲労は残ってます。木曜日からブース出店なので、朝早く家族でUTMF会場へ向いました。まだまだ歩くのもぎこちない感じなので、申し訳なかったのですが、ブースは他のスタッフに任せて身体を休ませてもらいました。いよいよUTMF当日。なんとなく筋肉疲労が取れた感じで会場へ。ブース出店のお手伝いをしながらスタートを待ちます。スタートは15時なので時間はタップリ。ここでも湘南ベルマーレの中島コーチにストレッチを施して頂きました。今回の目標タイムは31時間28分。この時間は一番早い選手と一番遅い選手の中間の時間を計算し、組み立てた数字です。けれど100マイルは初めてで、どのくらいのペースで行けばいいのか、エイドや関門でどれだけ休むものなのか、30時間以上も身体が動くものなのか、寒いのか、眠くなるのか、気持ち悪くなるのかなど、不安一杯でスタートを待ちました。

 さあ、いよいよスタートです。中盤以降に並び、ゆっくりとジョグで進みます。筋肉疲労が取れたと思っていたのですが、全くそんなことはありません。足がセメントで固められたように重く、歩いてるのか走っているのかわからないようなスピード。こんなスピードで行かなければならないのかと不安で一杯でした。トレイルに入りなだらかな下りで、周りの選手は飛ばしていきます。けれど大腿筋の筋肉痛でスピードを出すことができません。本栖湖のエイドステーションから竜ヶ岳の登りは調子が良く、麓のエイドステーションから雪見岳の登りも快調。筋肉痛が酷くても登りに自信を持つことができ、これからは登りで最大限頑張ってタイムを稼ぎ、下りはこれ以上酷くならないようにスピードを最小限にとどめる。平地はゆっくり、でも歩かないことを肝に銘じ進むことに。

 中間地点のこどもの国に到着。筋肉痛はスタート地点から悪くなるわけでもなく、良くなるわけでもなく小康状態。全体的には寒くもなく、眠くもなく、食欲もあり、順調にきて、設定したタイムよりも2時間30分位速かったです。さぁ後半戦、頬を叩き気合を入れスタート。水ヶ塚のエイドステーションを過ぎ、富士山五合目太郎坊を目指します。富士山の凛々しい姿が眼前に迫ってきて、息を飲む美しさに感動しながら進みました。初めて寒いと感じた太郎坊、けれど太郎坊を越え、すばしり、山中湖と進むにつれ、暑くなり半袖シャツで十分でした。結局、ウィンドブレーカーを着たのは太郎坊近辺の2〜3時間だけ。120km地点の山中湖ではさすがに疲労が身体中に充満し、足はふたたびセメントで固められたようで、立ち止まると一歩進むのも一苦労です。

 あと1/4。この後、唯一試走した区間で、その厳しさを知っているだけに、逆に気合が入ります。けど二十曲のエイドステーションまでセメント固めに鉄玉が追加されたようにノロノロ、ノロノロと進み、せっかく二十曲で待ってもらったパワースポーツスタッフに笑顔を見せることなく、終盤最大のポイント杓子峠へと向いました。やはりパワースポーツスタッフから激励を受けると頑張れるものです。杓子峠の登りに入ったとき、ふたたびスイッチが入り、身体が動くようになりました。しかし杓子峠頂上からの下りは地獄のよう。またしてもノロノロ、ノロノロと最後のエイドステーションに到着。そこにはパワースポーツをはじめ、たくさんの仲間たちが待ってくれて、涙がホロリ。恥ずかしさを紛らすため悪態をつきながら、18km先のフィニッシュを目指しました。

 ここまできたら筋肉痛がどうの、こうの言ってる場合ではありません。MIYAFUJIの最終章、最高の走りで締めくくりたいもの。最後の山は「サザエさん」を歌いながら軽快に登り、山頂からのダラダラとした登りのアスファルトは「線路は続くよ、どこまでも」をリピートして歌い続けました。下りに差し掛かったとき、ヘッドライトを点灯。遠くぼんやりと見える河口湖大橋の先のライトアップされたフィニッシュゲートを目指し、ポールを最大限利用し駆け下りました。そして河口湖大橋を渡り、フィニッシュゲートへ。奥さんから1月30日に誕生した長男慎之介を渡され、感動のフィニッシュを迎えることができました。記録は目標タイムより2時間30分も速く、28時間53分でした。

最後に

 こうして今年最大のチャレンジ「MIYAFUJI」が終了しました。来年の両大会の日程が決まってませんが、どちらかのみのチャレンジは今のところ考えられません。やはり来年も「MIYAFUJI」。ディフェンディングチャンピオンとして、誰の挑戦も受けたいと思います!



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