イベントにまつわる出来事やパワースポーツにかかわる人たち、優れた一品など思いついたままにつらつらと不定期に連載します。
コーヒータイムにでも覗いてください。

●NO.10 「ドーバー海峡水泳横断!」(05.8.7)

 ラフウォータースイムシリーズなど海でのレースで知り合い、徐々に大きくなって、今では40名(?)を超える大所帯となった不思議なグループ「海王」。
海王代表の通称ねえやんも全てのメンバーを把握できない様子。活動内容というと、海のレースにみんなで参加し大会を盛り上げることだろうか。それと定期的な飲み会は欠かせないらしい。とにかくラフウォータースイムシリーズでは、選手受付から不安なスイマーの伴泳、後片付けまでしてくれるありがたい存在なのである。
 その「海王」の中で、今夏ドーバー海峡水泳横断をメンバーが現れた。6名の女性メンバーで構成され、その名は「海姫」。ドーバー海峡は直線で約36km。海姫が挑戦するのは往復コースで、80km近くの距離を6名で交代交代に泳ぐ。平均水温が摂氏15℃という低水温が最大の難関とのこと。彼女たちの目標は世界最速タイムらしい。ラフウォータースイムの時に計画が持ち上がり、ハッピースイムにも通ってくれる娘たち。6名が1つの目標に向かって頑張っている姿は微笑ましい。結果はどうあれ、スタートラインに立てれば大成功。怪我なく無事に帰国することを祈る! 
 
海姫HP[http://www.umioh.com/umihime/info01.html


●NO.9 「偶然の発見!」(05.6.23)

 数年前の5月連休のこと。長野県白馬村にある岩岳スキー場で開催していたMTB大会に行った帰り、知人から「気持ちの良いキャンプ場があるから、機会があれば行ってみな。」と言われ、一人ふらっと立ち寄ったキャンプ場が長野県王滝村にある森きちオートキャンプ場。

 キャンプ4日目、今まで川で岩魚や山女とじゃれあい時を過ごしていたが、キャンプ場近くから林道が延びているのを発見。ということでMTBを取り出し、早速その林道を探検しに行った。ちょうど工事車輌が通った後のようで、林道のゲートが開いており、長い登りゆっくりとペダルを踏んでいく。しばらく進んで行くとなんとも広大な風景が眼前に開け、息を呑む。四方八方、縦横無尽に伸びている林道を霊峰御嶽山が見下ろしている。この絶景の中、ちっぽけな自分は一人佇んだ。「すっげぇ!」しばらく行くと林道工事をしている人に出会い「ここは立ち入り禁止だぞ」と怒られる。
 翌日朝一番に王滝村役場へ出向き、村全体の地図を見せてもらった。なんと一般の立ち入りが禁止された林道が300kも続いている。王滝村観光課へ行き「この林道でなんかやらせてください」と、何かアイディアがあるわけでもなく叫んでいた。というわけで始まったのがセルフディスカバリーアドベンチャーシリーズだ。人口1000名に満たない王滝村。偶然発見した林道でのイベントは年間2000名を超える。9月のイベントでは、人口をはるかに超える1500名のアスリートが、ここ王滝村に集結するようになった。
 人口減での過疎化など、悩んでいる市町村は全国たくさんあると思う。そんな悩みをもたれている市町村の方々、もう一度振り返ってみよう。大自然というお宝が眠っているかもしれない。  

●NO.8 「ハッピースイム」(05.6.4)

 5月から東京・世田谷で朝のスイミングスクールを始めた。(といっても自分がコーチするわけではない。)AM6:30からなのでAM4:30に起床し5:10の電車に乗る。ということで夜遊びは出来ず、毎日ジョギングで帰宅し、ビールを飲みながら夕食を作り、夕食を食べながら焼酎を飲み、一気に寝る。睡眠時間は4〜5時間とやや少なめだが、早く起きると得した気分になるものだ。中級コースでみんなと泳いでいる。今までプールで2000m以上泳いだことがなかったが、朝スイムでは4000m以上泳ぐこともある。苦手で足が遠のいていたスイムが身近になり楽しくなってきた。もう夜12時を過ぎた。あと5時間後は電車の中だ。さぁ寝よっと!


●NO.7 「パワーバー」(05.5.18)

 うちの会社で取り扱っている「パワーバー」との出会いは、今から11年前。前職の旅行会社に勤務していた頃、ハワイでトライアスロン大会を立ち上げた時だ。大会運営の資金集めに四苦八苦していた時、ハワイの友人からパワーバーを紹介してもらったのがきっかけだ。パワーバーを全く知らなかった自分は、その年の暮れに参加したホノルルマラソンで、初めてパワーバーとパワージェルを使ってみた。そのパワーに驚き日本で何とか販売できないかと、アメリカ・サンフランシスコにあるパワーバーUSA本社へ何回も足を運ぶ。足掛け1年を過ぎ、ようやくパワーバーUSA本社も自分の熱意を感じてくれたのか、国内で行われる国際自転車ショー出展までこぎつけた。翌年、日本各地の食品会社を回り、国産パワーバー(試作品)を誕生させた。が、大きな流れがありパワーバーUSA本社は、世界NO,1の食品会社「ネスレ」に買収され、国内でも「ネスレ日本」が扱うことになる。しかし、過去の実績などを評価していただき、今では「ネスレ日本」とお互い協力し合って、パワーバーを日本で広める活動を行っている。自分の会社ではイベント運営やフリーペーパーの発行、さらにはモーニングスイムレッスンなども行っているが、すべてが「パワーバー」に繋がる活動なのである。「パワーバー」にほれ込んでここまでやってきた。もう後には戻れない。


●NO.6 「41歳の挑戦」(05.4.28)

 私と同い年である。来月22日、長崎の五島列島で開催される「アイアンマン・ジャパン」で、2年ぶりに一時復帰する宮塚英也スポーツ研究所所長の宮塚英也さん。トライアスロン世界最高峰レースといわれる「アイアンマン・ハワイ」で日本人ではただ一人、トップ10入りを2度果たし、国内では絶大な人気を誇る「トライアスロン宮古島大会」では4度の優勝と、名実ともに日本のトライアスロン界を引っ張ってきた男。41歳での一時復帰は、ただ単に参加してみるのではなくプロカテゴリーでのエントリーだ。ということは誰もが優勝を期待するだろう。年齢的な衰えは少なからずあるにせよ、研究所としていろいろなアスリートを診断し、本人も効率的なトレーニング方法を考え実践しての一時復帰なので、結果はどうあれレース展開が非常に楽しみだ。
数年前からセミナーなどいろいろと一緒に仕事をしている。付き合いが長くなり、表裏のない宮塚さんの性格に親近感が増し、今では年に数回栃木県の那須にある自宅に遊びに行く。「アイアンマン・ジャパン」まで1ヶ月を切った。多分、本人はいつものように研究所の仕事をしながら、合間に奥さんと子供の顔色をうかがい、いそいそとトレーニングに出かける姿を想像すると楽しくなる。ガンバレ宮塚!!!
 私もこういった仕事をしているからには41歳とはいえども、チャレンジ精神旺盛に今年もいろいろなレースに挑戦しようと思っている。4月:宮古島トライアスロン(終了)、6月:富士ヒルクライムとサバニレース(沖縄伝統の漁船レース)、7月:北丹沢山岳耐久レース、8月:鈴鹿ロードレース、9月:佐渡トライアスロン、10月日本山岳耐久レース、11月:ツール・ド・沖縄、12月:フルマラソンってな感じだが、あくまでも予定は予定。有言実行となるか乞ご期待! 


●NO.5 「ビックウォール」(05.4.11)

 パワースポーツでは、横浜みなとみらいで「フリークライミング日本選手権」を企画運営している。名称通り日本では最大規模。国内の男女トップクライマーが日本一を賭けて、技を競い合う。日本一の大会ということは、野球でいえば日本シリーズ、競馬でいえば有馬記念となるだろう。マイナーな競技とはいえ、日本一を決める大会を運営しているということは光栄なことだ。
 今年は3月26日、27日の2日間での開催となった。開催場所であるクイーンズスクエア横浜の来場者は、開催日両日で約8万人。他のスポーツ競技とは違い、どこまで上に登れるかというわかり易い競技なので、初めて見る人も立ち止まり、いつも人だかりで大盛況であった。しかし、写真で解るように大掛かりなのだ。準備は5日前から取り掛かる。まず、足場を会場に運ぶだけでも1日。足場を組み立てるのが1日。クライミングウォールを運び組み立てるのが1日。競技のルートを考え、取り付けるのが2日。私はこの作業期間、夜は警備で泊り込み、日中は現場指示や通行人の誘導等で家に帰れない。手間隙かけて建てた数百万円のクライミングウォールも2日間でお役ごめん。そして2日間かけ取り壊され、運び出されていく。(もちろん撤収期間も泊り込み)それでもこの大会に賭け、日頃のトレーニングの成果を発揮し、観客の声援に応えようと頑張るクライマーを見たくて、そして大会終了後、「ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします!」と晴れやかな笑顔で会場を後にするクライマーのためにも、来年の準備を始めて行きたいと思う。


●NO.4 「矢印くん」(05.3.23)

 セルフディスカバリーアドベンチャーシリーズに参加している方はご存知かと思うが、非常に重宝しているパワースポーツオリジナル道具が「矢印くん」である。ホームセンターで販売してる1000円くらいの大きなプラスティック板を、A3に21等分に切り取り、矢印の形状にくりぬいた板をもう一つの板を重ね合わせて、赤や青のペイントスプレーを吹きかけ、3分間ほど乾かせば完成。大きなプラスティック1000円を21等分。ということは1枚50円弱である。この「矢印くん」は何回も再利用することが出来、すでに5年目に突入して、20イベントをこなしている「矢印くん」も存在する。多分、あと5年以上は活躍すると思われ、とてもエコロジーなのである。その「矢印くん」の相棒が「木杭さん」。「木杭さん」は言葉通り木製なので5年が寿命。「木杭さん」が捨てられると、なんとなく長生きする「矢印くん」が寂しそうにこちらを見ているような気がする。


●NO.3 「距離測定」(05.3.4)

 ラフウォータースイム大会の参加者は「わりかし正確じゃん!」なんて思っている人もいると思う。今回はラフウォータースイムの距離測定の話。国内海外各地でオープンウォータースイム大会が行われているが、主催者の距離測定の仕方は様々。海外では目算で距離を設定し、目印のブイを両端2箇所ボンボンと落とし「どうぞ!」なんて大会が多い。国民性にもよるのだが、アメリカ人やオーストラリア人などは、設定した距離が短かったり長かったりしてもあまり気にせず、とにかく自分が楽しめればという人が多い感じがする。日本人の場合は几帳面な人が多いせいか、表示している距離が正しいかどうかを気にする 人が多い。

 国内の大会の距離測定方法は距離測定器を用いる場合が多い。双眼鏡のようなものでレンズから測定したい目標物を覗き、ボタンを押すとそこまでの距離がレンズの表示される。なかなか正確だ。だけど船の上などでは揺れて、レンズを目標物に定めることが困難なことが多く、ラフウォータースイムではあまり使用していない。
  ラフウォータースイムでの距離測定は、カジキマグロなど大魚を釣るときに用いる釣り糸を使用している。全長100mの釣り糸には10m・20m・30m・40m〜と10mごとに印をつけてある。
その釣り糸の端(人がブイにつかまって糸の端を持つ)と端(船で引っ張る)をピンと引っ張り合い、「もうすぐ90m!」などと声を掛けながら100mになったらブイを落としていく。小浜島大会の場合、はいむるぶしビーチから100mごとにブイが並び、沖合い1000mの直線コースを作成する。まっ直線にするには何回も船でブイ間を回り、微調整しながら完成させる。なので、ラフウォータスイムの設定した距離はほぼ正確なのである。この釣り糸は、釣具店上州屋で3000円、すでに5年以上使用しており、とても重宝しているパワースポーツの優れた一品だ。

●NO.2 「おが山荘」(05.2.8)

 前回のコラムでは毎年沖縄に30日は滞在すると話したが、沖縄といっても本島や宮古島、小浜島、座間味島など滞在先は様々。それを上回る滞在場所がある。長野県木曽郡王滝村には年間30日以上(昨年は35日)滞在し、そこでの宿泊場所は「おが山荘」という民宿。ということで、この「おが山荘」には年間1ヶ月以上宿泊することになり、もはや単なる宿泊場所ではなく別宅と化し、「おが山荘」のおじちゃん、おばちゃんは家族のように接してくれる。私にとっての「おが山荘」は自宅よりも心地よく、くつろげる場所なのである。イベント本番となるとスタッフ50名近く宿泊する。朝はイベント準備のためスタッフはAM3:00に出発するので、出発に間に合うように朝昼の弁当合計で200個のおにぎりを握り続ける。帰りはPM9:00を過ぎることが多いのだが、帰ると温かい夕食が待っている。そんな慌しい滞在期間でも、いやな顔一つ見せず、いつもにこにこと笑顔で迎えてくれる。
 昨年は新潟県中越地震やスマトラ沖地震など大きな災いが重なり、改めて地震の恐ろしさを実感させられた年だったが、今から21年前、ここ王滝村では長野県西部地震が起こり29名の死者や行方不明を出したのは覚えているだろうか?いまだに河川では復旧作業が続いており、土石流の跡が痛ましい。その中で住民は災害に出会ったことを教訓に、阪神大震災や中越地震の数日後には被災地に行ってボランティア活動をしていたのである。西部地震の際、いろいろな人たちや団体などのボランティア活動がどんなに嬉しかったか、その恩返しのボランティア活動だそうだ。そんな優しい気持ちを持った王滝村の住民が、今年もセルフディスカバリーアドベンチャーシリーズの参加者を迎えてくれる。おじちゃん、おばちゃん、いつまでも元気でね!


●NO.1 島人(しまんちゅ)(05.1.27)

 1月19日から22日までの4日間、ラフウォータースイム大会の件で沖縄へ出かけた。まず、沖縄本島の地元新聞社で打ち合わせの後、開催地である小浜島、宮古島、座間味島、そして最終日は沖縄ライフセービング協会への挨拶で本島の今帰仁(なきじん)へ向かうという、やや駆け足のスケジュールとなった。1年間30日以上沖縄に滞在している自分としては、毎年1月に新年のご挨拶としてお世話になっている離島、本島のみなさんの笑顔に会いに行くことを慣わしにしている。
 沖縄での楽しみは、やはり島人(しまんちゅ)との飲み会。最初は2〜3名で飲んでいたのが、気がつけば20名以上にも膨れ上がりお店は熱気に包まれる。飲み代は初めからいる人も後から来た人も割り勘が通常なのか、終盤になると会計係らしき人が集金に回ってくる。一緒に飲みに来た人に「隣の人は誰?」と聞くと「知らないさぁー」という返事。初めて会う人でも同じ場にいればすぐに打ち解ける。バリアをはりめぐらす都会での生活に比べ、なんとも無防備な自然体が妙にうらやましくなる。酔いが深まり、まわりは島人(うみんちゅ)の言葉となり、ほとんど聞き取れない言葉の組み合わせに相槌を打ちながら、琉球民謡を聴いているようにフワフワした感覚となり、やさしい島人(しまんちゅ)に囲まれた心地よい夜が更けていく。
 沖縄の風習で「モアイ」を知っている人はいるだろうか?今回、座間味島の島人(しまんちゅ)との飲み会で「モアイ」のシステムを知った。なかなか面白いシステムで「モアイ」の欄がある手帳も沖縄では販売されているとのこと。沖縄の知り合いがいたら聞いてみよう。

 短歌
  都会人 バリア緩めて しまんちゅに 自然な笑顔が バリアフリー
   
  イマイチかなぁ〜。とりあえず第1回目のコラムでした。

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