始めに
今月、10月15日〜17日。宮古島〜石垣島へ120キロにわたる海峡横断を男6名で行いました。
波浪注意報が出ていて、海上は10m以上、波高が3メートルという海を前に、僕等は、どういう判断をし、遂行、撤退の決定したのか。そういうことを、報告できればと思います。
昨年に引き続き行った、長距離、団体での遠征。これは、カヤックの安全性と可能性を広げることを目的にしたチャレンジです。
昨年、与那国島〜西表島へ横断した遠征では、延々22時間、向かい風の中、漕ぎ続けました。参加資格は、24時間、漕ぎ続ける気力のあるもの。事前に12時間連続パドリングを行っておくこと、を条件に遠征隊を募りました。
今年は、また違う能力を必要としています。この遠征の参加資格は、最低12時間以上のパドリング経験があるもの。漕ぎ続けられるだけでなく、カヤックをコントロールする技術も必要になります。ミーニシという沖縄に吹く北東の季節風の中を漕ぐことが予想されたからです。12時間、追い風、追い波、横波にさらされます。
そして日本各地から、6名のカヤッカーが集まりました。
遠征隊の紹介 (五十音順)
亀田正人
普段は、ラフティングガイドをしながら、本職はカメラマン。
大学探検部出身で、中国などの川遠征をこなしている。
今回のメンバー最年少。
滝川次郎
パワースポーツ社長。
本人は、トライアスロンやトレイルランニングを得意とするアスリート。
海の上でも、少しづつレベルアップしてきた。
藤井巌
本気で遊ぶ人に、本当のニュージーランドを伝える会社
リアルニュージーランドの代表。
あらゆるアウトドアスポーツを愛する九州男子。
三浦務
(株)ゴールドウィンで一番漕げる男。
昨年までは、基礎体力と前漕ぎで勝負してきたが、今年はさらにレベルアップ。
「カヤックは生き様だ」と海をこよなく愛する元ラガーマン。
森田渉
三重県、尾鷲のカヤックショップ 小山ハウス代表。
日本最年少で、日本1周の旅に出たカヤック界の若きリーダー。
この遠征のメンバーでは、カヤック歴も一番長く、技術も確実。
八幡暁
陸上では亀以下、といわれるわたくし。
カヤックは平凡。水中と生命力がうり。 |
という個性的なメンバーがあつまりました。共通しているのは、チャレンジ精神。
14日夕方、風が吹く宮古島に集結しました。
きっかけ
シーカヤックで120kmという距離を横断する。6名という人数で、この海域を人力で渡れるだろうか。今回のチャレンジに駆り立てた、ひとつのエピソードが残っている。
今から100年以上前、宮古島の漁師がサバニに乗って石垣島へ渡ったという話。日露戦争時、日本へ向かうバルチック艦隊が、宮古島の東を北上。島の人が、これを発見。日本連合艦隊に知らせようとしたが、宮古島に電信局がない。当時、石垣島へ行かなくては、報告を出来なかったのだ。そこで、5名の漁師がサバニに乗り、石垣島へ向けて海を渡った。
当時、現代の航海機器はない。おそらく星と雲、風、太陽を見ての航行だったかと思う。120kmを15時間という速さで荒れた海を漕ぎぬいたのは、驚くべき事実だ。その偉業を称え、宮古島と石垣島に石碑が残っている。
先人が、渡った海。僕は、同じように自分の腕で海を渡ってみたいと思った。彼らが当時、出発地とした久松漁港をスタートすることにする。到着地は、彼らと同じ石垣島の伊原間に上陸しよう。
この横断の目的は2つ。
1 過去から続く海と人の関わりを経験する
2 シーカヤックの航行能力、安全性の証明
3 団体での外洋航海 (無伴走)
大袈裟な話ではない。無謀をしようというものでもない。自分達の命を守る為に、何が安全か、というものを誰よりも考えて挑もう。
宮古島〜石垣島横断とは?
最短距離、宮古島から石垣島を結ぶと、約100km程になる。航行予定ルートでは、120km。
ここは、どういう海なのか?
地図を見て、まず目に留めるのは多良間島である。丁度、ルートの中間地点にある平らな小島。観光化されておらず、手付かずの海が残っているらしい。
宮古島と多良間島間60kmの間に何があるのかを見てみよう。
スタートして20km付近から40キロ付近までの間に、深度の高低が多少みられる。中間地点、海底100メートル付近に、大きな溝がある。ここでは波は立ちやすいだろう。
この海域には、強い潮流があることは3年前に経験している。海底の起伏に、自分達が航行する時間帯の潮流の様子を照らし合わせてみる。風が強く吹かなければ、航行には最適だ。今回の潮周りはベスト。うねりの中、航行になるだろう。
この時期は、沖縄特有の季節風(ミーニシ)が吹いている。流れに対して、ぶつかるような北東風。3メートルの波が崩れている海になるだろう。風が吹けば、横波、もしくは後から崩れてくる波の中を漕ぐことになる。連続して崩れてくるサーフの中を漕ぐ技術が必要だ。
多良間島、周辺の潮流も気をつけなければならない。風が吹かない時でも、白波が立っているような場所である。特に、水納島と多良間島の間は、荒れやすい。南に回りこむ方が妥当だろう。
多良間島と石垣島の間はどうだろうか。この海峡には、いやらしい場所は少ない。道中、起伏の少ない大きな海があるだけだ。石垣島に接近し、海底が浅くなり、島に流れがぶつかることを頭に入れておく。島のまわりに複雑な波がたつのは、どこでも同じこと。
海のイメージは出来た。仮に誰かが漕げなくなるような事態が起きても、他の者がカバーをする。それぞれが、助け合う事の出来るメンバーである。海に高速の海流があるわけでない。多少流されたところで、騒ぐものではない。時速1kmでも動いていれば良い。
夜間航行だけは、一番避けなければいけない。仮に突入してしまったら、各艇が常に離れないこと。大波の中で、離れれば見つけるのが困難である。疲れていなくとも、各艇を縦につなげてしまうことも頭にいれておく。各自、夜間用のライトを持参。携帯電話も持参。発煙灯に、シーマーカー、鏡、装備は万全だ。
緊急事態になるときは、シーカヤックだから起きてしまう事態でなく、エンジン付きの船でも起きてしまうような事故に出会った時になるだろう。そこまでの、段取りは出来ている。
心が折れることなく漕げれば、必ず皆で到着できる。海を漂っていること、波が高いこと、流れていることを、無闇に不安がらない事。ゆっくりでも進んでいる、という心持ち。24時間はかかってもよいという覚悟。全力を出さないこと。 最悪の状況になれば、気力を振り絞って、困難から脱出する。
これは、自分が遠征を行うとき必ず考えること。団体でも同じだ。今回のスタート予定は、朝6時出発。天候が良ければ、12時間内で多良間到着予定。最長時間でも、15時間とする。それ以上の航行が予想される場合、出発を見合わせる。夜間航行を防ぐ為の時間設定である。今回は、事前に各自が海のシュミレーションをしてくるという宿題があった。誰もが同じように海を読むとは限らない。知らない海に向かわなくては、いけないこともある。各人が、海をどう読むのか?新たな課題を持って挑んだのである。
10月14日 出発前日
横断のメンバー以外に、宮古島のカヤッカー澤原さんがサポート。民宿とパーラー、そしてシットオンカヤックのツアーをしている、たかさん&イノッチも協力してくれた。とてもありがたい。感謝。
雨予報はなかったものの、風は吹いていた。沖縄の秋の風だ。新艇のWF社のジェミニを、確認する。昨年、与那国島〜西表島に渡った小型のタンデム艇。減速しても、スピードの立ち直りが早く、小回りがきく。ラフなコンディションには、ぴったりだ。荷物を入れるハッチは、少し小さいが、短期の遠征では問題ない。明日、出発の準備を各自が進める。昨年ほどの緊張感は、ないようだ。ひとつ、基準になる海を経験すると、海はイメージしやすくなるのだろう。
久松5勇士の碑を見に行った。
「これかぁ〜」
明日から、自分達が向かう海へ、サバニで渡った男がいたことを実感する。海魂と大きく書いてある石盤が目を引く。いい言葉だと思った。
買出しを済ませ、皆で食事をする。大酒飲みが多いが、前日は禁酒。アルコールが入っていなくとも、明日、海に出る興奮は始まっていた。
チームミーティング
夜の時点で、天気予報は、予想していたものだった。風は、北東7m。波は、3メートルとなっている。昨年の与那国遠征の状況より、若干悪い予報。右斜め後からの波と風になる。海上では共に、もう少し強くなる筈だ。このメンバー、この状況では確実に行ける。今回、ためらいはなかった。
この海を渡れなければ、この季節の沖縄は渡れないということになる。前半20kmで、カヤックを自分達の思いどおりに動かせない場合、引き返す。20km進むのに、3時間〜4時間かかるだろう。航行が無理だと判断したら、向かい風7メートルの海を、時速2km〜3kmで戻る。7時間程で宮古島の風裏に入れるはずだ。これなら、暗くなる前に戻れる。出発してからの判断は早めに、そして20km沖合いに差し掛かる前にすること。
「今回の課題は、横波と後からの波をどうかわすかです。もし、沈しても、沈脱しても焦らなくていいです。水温は暖かいので絶対死にません。ただ荷物は縛っておきましょう。流れちゃいますから。」
3艇なので、皆が声の届く範囲にいましょう、と話をした。風が吹くと声が聞こえない場合が多い。波が高いと、隣にいても見えなくなること多い。日中でも、出来るだけ近くを漕ぐようにする。
そして早朝出発に備えた。
出発当日 10月15日
朝5時、起床。朝食を食べて、カヤックを港に下ろす。道具をチェックして、ストレッチ。荷物を入れ、食料を積み、地図を張る。パドル確認して、PFDとスプレースカート、GPS、電話、ライトを体につけた。装備類の総チェックをする。
空は、明るくなりはじめていた。となりの人の顔が、しっかりわかるくらいだ。始めの1時間は、宮古島と伊良部島の影になっている。風だけが抜けてきて、波はない筈だ。良い肩ならしになる。
6時半出発。
皆、調子が良いのか、興奮しているのか、早いピッチで漕いでいる。時速8〜9km。開始早々、飛ばさない方がよい。前半戦は、波に慣れながらの疲れない確実なパドリングが必要だ。早い時間に多良間へ接近すると、潮流が逆に流れている。早く着けばよいといものでもない。ゆっくり行きましょう。
島影では、丁度、楽しいカヤッキングになった。小さい波が、ところどころで砕けている。カヤックのデッキを越えていくようなものはない。追い風、追い波に押されて、グングン進んでいく。不安定な動きをしている艇もない。これが、向かい風なら、我慢の航行になるな、と思った。向かい風のカヤッキングはひたすら根気比べなのだ。
出発して3時間、既に20km漕ぎ抜いていた。丁度、島影から離れ、うねりが大きくなる。目測、カヤックの高さ2倍以上の波の壁が盛り上がる。波頭が、崩れることが多くなった。波とタイミングがあってしまうと、カヤックがすっぽり海の中に消える状況。予報どおり3メートル程の波の中にいる。それでも、皆、しっかり漕いでいた。奇声もあげていた。
「いけそうですねぇ!」「行ける行けるよ!」
頼もしい限り。
森田、滝川艇の中に、水が頻繁に溜まるのが気がかりだった。
「八幡さん、水、出しても良いですか」「OK〜」
1時間に1回のペースで水を外にかきだしていた。他の艇は、それほど水は溜まっていない。僕らは、3艇を筏のようにして、各艇をつかまえている。波が崩れるような中で、パドルを離して水をだすのは難しい。2人乗りの場合、一人が、カヤックの頭を風上に向けて船を安定させつつ、もう一人が水を出す手もあるが、今は、より安全な方法をとった。
「スプレースカートは、しっかり、しているのにおかしいね」
森田さんのネオプレーンのスカートは問題ない。滝川さんをチェックする。すると、スカートが緩すぎて下にずり落ちていた。
「これで少し変わるかな?」
その後、森田艇は、浸水もなく調子が上がる。ちょっとしたミスだが、大きな問題になる事態。早めに見つかって良かった。
船を止めている間に、ジワリジワリ、もう一つの問題が近寄ってきていた。船酔いだ。僕の前に座っている亀ちゃん(亀田さん)の口数が減ってきた。
「酔ったか?」「えぇ、少し、でも大丈夫です。止まると気持ち悪いですね」
カメラで、皆の姿を撮ろうと、ファインダーを覗くことも原因だったかもしれない。吐くまではいかないが、少し辛そうに見える。パドリングのリズムも乱れ、どうしても、前後のパドルがぶつかってしまう。デッキに乗せていた、カメラケースがパドリングの邪魔になってもいたようだ。ケースが大きい為、腕を高い位置に上げて漕がなくてはならない。肩周りが疲労、手漕ぎを誘発、という悪循環に入っていった。
この後、20kmが携帯電話の電波の入らない、今回の難所だ。気を引き締めていこう。
ハイブレイス(パドルで艇の転覆を防ぐ技術)ローブレイスで波をかわして進む。ところどころで、波が崩れていた。途中、横波を何発かもらう。頭の上から落ちてくるような波でも、カヤックは大丈夫なのである。カヤックは、強い。皆、しばらく、うまく波を受け止めていた。
中間地点の前後10kmは、やはり波が大きくなっていた。ときどき、海が大きく彫れて上からのしかかる様に落ちくる。今年渡った、バシー海峡みたいだ、と思った。
三浦、藤井艇に大波が接近していた。あ、やばい。おもわず声が出る。本人達も「やべ」と、とっさに声が出たらしい。カヤックは、見事に波に消えた。現れると転覆している。2人は、波のパワーを相当、感じたのではなかろうか。レスキューに向かう。
外洋で、カヤックをつかみながら漂う人の姿。自分が単独で漕いでいる時は、客観的に海とカヤックを見られない。あらためて、外洋のうねりに浮かぶカヤックを見ると、凄いな、と思う。どこか映画のワンシーンで見たような・・・
荷物は、流出していなかった。全ての荷物を、紐で結んでいたらしい。良かった。
カヤックをつかまえて、水を出して起こす。
荒れた海で、タンデムに入った水を、持ち上げるのは結構、コツがいる。2人は、僕のカヤックにつかまっていた。
「よし、一人づつ乗りましょうか、ゆっくりで良いですよ」
まず三浦さんが乗り込もうとしていた。乗っている最中、藤井さんが、何かの拍子にカヤックから離れてしまう。藤井さんが、カヤックに向かって必死に泳いでいる姿が見えた。船と人が、風の中で離れたら、まず追いつくことが出来ない。自分も、何度か痛い目にあっているからわかる。必死に泳いで、体力を消耗してしまうだけだ。蜃気楼を掴むように届かないことが、益々、体力を奪っていく。
「藤井さん、泳がないで良いです。森田さ〜ん、藤井さんを掴まらしてあげて〜」
大声を張り上げる。
藤井さんが、森田&滝川艇に確保されたの確認。三浦さんが乗船。藤井さんのところへ向かう。こちらの船に確保。再乗艇。
一度乗りかけたが、バランスを崩して、海に落ちてしまう。後でわかることだが、腰が大分、痛かったようだ。泳いだこともあって、力がうまく入らなかったのかもしれない。もう一度、再乗艇。
「寒かったらパドジャケ着てくださいね」
藤井さんの意識は、しっかりしていた。
「うわぁ〜やられちゃったよ〜」
そういう三浦さんの顔に悲壮感は全くない。良かった、全然大丈夫だ。こういうところで、パニックになったり弱気になる人が、一番怖いかもしれない。
ひとつ落ちつこう。皆、水分を補給したり、エネルギー補給をしている。僕は、りんごを1個食べた。
塩味が効いて美味しい。身の回りをチェックする。GPSを確認すると、30分程、漂流していたのに数百mしか流れていない。これは、問題なし。シケ気味の海にいるが、僕等は安全な状態にいる。航行スピード、ナビゲーション、ともに予定どおり進んでいた。さぁ再出発しよう。
残り20km程で、多良間島にある鉄塔が見えてきた。うねりの中で、見え隠れしているが間違いない。目標物が、前方に見えると、ナビゲーションが容易になる。気持ちも楽だ。
僕&亀ちゃん艇にも、度々、波がぶつかって来る。時に、肩から、時に頭から。
「あ、また来たな」
頭からかぶるようなものでなく、肩くらいの波だ。波側にカヤックを倒し、ブレイスする。そしてやり過ごす。いつもの動き、と思ったら微妙に船が波と逆方向に傾きだした。普通、ここから逆にブレイスを入れて立て直すのだが、体が動かなかった。
撃沈。
水中。ぶくぶく。
あ、どうしようか・・・逆さまの状態で少し考えてしまった。シングル艇であれば、ロールするのであるが、今回はタンデム。亀ちゃんは、出てしまっているかな。何も申し合わせをしていなかった。まずかったな、と思った。まぁ、水温も暖かいし出よう。カヤックから抜け出すと亀ちゃんも出ていた。自分の荷物は、全く紐で縛っておらず、海に散らばっている。皆に話をしていて、自分はやっていなかったのだ。自分は、大丈夫と思う気持ちが事故に繋がる、後に省察する。
カヤックにあがる。完全にカヤックが湯船のようになっていた。う〜ん、これは自分で排出出来る量じゃない。他の2艇に寄ってもらう。森田&滝川艇と三浦&藤井艇のバウ(先端)に僕がまたがる。三浦さんと一緒に、カヤックを少しづつ引き上げる。水が満タンのカヤックは、重い。排水終了。
道具の確認をする。散らばった道具が、うねりに見え隠れしている。
「藤井さん、道具、拾えるもの拾ってもらっていいですか」
「OK」
大事な物は、なくなっていない。残った排水を行いながら、三浦&藤井艇見た。カヤックの3倍はあるような大きなうねりに2人の艇が登っていく姿が見える。おぉ凄げぇ・・・。
こんな海で道具拾って、なんていっちゃったよ〜(笑 あのうねりが崩れていたら、大変だったな。
こちらも、準備完了。
「森田さん、ちょっと流れたもの拾ってきますね」
この波の中で、散らばったものを回収するのも結構、難しい。次々に押し寄せる波にあわせて、パドルを離し手を伸ばさないといけないからだ。皆に迷惑をかけてしまった。
「よし、適当な物も拾ったし、こんなもんで良いかな。さぁ行きましょうか」
南海では、大事にいたるよな事態ではないが、まずかったな、と思う。タンデム艇をシングル艇のように動かしていたこと。自分が単独で航行するときの、波との向き合い方をしていたこと。どれも、タンデムの経験と技術、知識の不足から起こった事であった。
ここでひとつ、ちょこっと知識。もし、他の2艇がいなければ、どうやって排水するのか。カヤック裏返しのまま2人でスタン(後方)に登る。バウが上がったところで、船を回転させる。こうすれば、カヤックに満タン水が入ることはない。
進路はずっと西、もしくは西南西に向けていた。北北東の風が10m以上吹いている中、思い通りのコースで進んでいた。多良間の南に流される事態は、もうないと言っていいだろう。もし、島より南にもっていかれたら、向かい風10mの中を漕がないといけない。安全策をとって、島の手前10kmを切るまで、島の北側を狙っていた。
午後3時30分 多良間島 到着。航行時間9時間、航行距離64kmだった。平均7km以上で漕いだことになる。やや追い風だったとはいえ、上出来だ。港のスロープに上がった皆は、とてもよい顔をしていた。しぜんと喜びがこみ上げる。本気で海と向き合って、しっかり自分で消化出来る幸せ。適当にやっていたり、他力本願では、こうならない。
しかし、到着後は寒かった。濡れた体に風があたり、体温を奪う。といっても25度以上あるのだけど、熱帯生活が長い自分は、むちゃくちゃ寒い。一方、森田さんに限って言えば、全然寒くないという。濡れた半袖、短パンというスタイル。人は、これほど違うものだろうか。
昼食を採っていなかったので、皆、チョコレートやらバンに噛付く。人影のない港をよいことに、全裸になり、乾いた服を着る。食べて、体を温める、至福の感覚。街にいれば、普通の事、いちいち感動しない。それが今は、有難く感じる。容易に、快適なものが手に入る事で、失うことも多いと思った。
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